気候変動や経済格差、社会の多様性などの人類共通の課題に対し、企業が果たすべき役割と責任が大きく変わりつつある現代。企業はサステナビリティやウェルビーイングを考慮した、新しい時代にふさわしい経営が求められており、これまで主流であった“財務価値や株主利益の最大化”を目的とした経営モデルから脱却する動きが広まっている。しかしながら、具体的な方法については、世界的に見てもまだ十分な議論がされていない。
2024年1月10日、IESEは大学院大学至善館との共催で、「Redefining Value Creation by Corporations in the Age of Sustainability and Well-being(サステナビリティとウェルビーイング時代の企業価値を再考する)」と題したフォーラムを、虎ノ門ヒルズ(東京都港区)で行った。
本フォーラムでは、IESEのフランツ・ホイカンプ学長、野田智義至善館学長に加え、富士ゼロックス株式会社元社長で、グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン(GCNJ)代表理事の有馬利男氏、トヨタ自動車株式会社のチーフ・サステナビリティ・オフィサーで、ISL理事の大塚友美氏をゲストスピーカーに迎えた。そして、ビジネス教育機関のIESEが旗振り役となり、サステナビリティとウェルビーイングが重視される時代に企業が直面する課題に加え、新たな企業の価値創造とマネジメント、リーダー教育について議論した。
本レポートは全3回。前編では、まずホイカンプ学長によるビジネスにおけるサステナビリティ―教育の問題意識や、同校の取り組みの紹介、そしてIESE教授兼Institute for Sustainability Leadershipアカデミック・ディレクターのファブリツィオ・フェラーロ氏が語った「ステークホルダーの価値重視やサステナビリティの必要性」について、ダイジェストをお伝えする。
サステナビリティ教育を推進するビジネススクールとして、世界をけん引してきたIESE
1958年の創設以来、IESEはステークホルダー資本主義を哲学の1つに据えたビジネス教育を実践してきた。SDGやESG領域の研究・教育で高く評価されるトップ・ビジネススクールとして、近年はInstitute for Sustainability Leadershipを立ち上げ、サステナビリティ教育を展開している。
本フォーラムのオープニングでは、ホイカンプ学長が、2018年から続くIESEと至善館のコラボレーションについて次のように語った。
「私たちのコラボレーションの中心は、持続可能なビジネスの実践と、そのためのビジネス教育機関の在り方だ。両校は、サステナビリティ教育の分野で日本や世界をリードし続けている」
さらにホイカンプ学長は、今回、GCNJ代表理事の有馬氏を迎える意義をこう述べた。
「当校は、国連グローバル・コンパクトの立ち上げメンバーでもある。特に2008年には『責任ある経営教育原則(PRME)』に署名し、気候リーダーシップのためのビジネススクールを創立した歴史がある」。それを踏まえて、IESEとGCNJは志を同じくする仲間だと表現した。
「共通善」の概念を通して発展するビジネス評価モデル
ホイカンプ学長は、「従来の株主価値最大化は、数値に表しやすく、分かりやすいという良さがある。しかし、それは必ずしも企業価値の全てを説明しているわけではない」と指摘。そして、経済的・環境的・社会的なサステナビリティという点から、ビジネスのサステナビリティは必須だとも強調した。
またIESEでは、個人であれ、企業であれ、どのような行動にも当てはめられる有益なフレームワークとして、「共通善」という概念を考えている、と紹介。日本語では「共生」や「調和」とも訳されるが、これは共通善を促進する上で、社会・機関・組織が正しいことを行っているかどうかを検討するものだ。
ホイカンプ学長は、この共通善は(1)人間の尊厳、(2)人間性の統一、(3)人々の平等という、3つの人間性要素に基づいていると説明。全ての人々が平等で、本来備わっている尊厳を持ち、本当の意味で結束した社会や世界を築こうとするなら、このようなフレームワークが理解の助けになるかもしれないという。そしてこうした仮説こそ、人間の活動や企業行動の価値をより正確に評価する新しいモデル開発のために役立つだろうと述べた。
最後に、「より持続可能なビジネスを実践しようとする善意があっても、その良し悪しをすぐ明確に把握するのは、なかなか容易なことではない。われわれは現在、複雑な状況に置かれていると、謙虚に認識することが重要だ」と学長は締めくくった。
ステークホルダーの価値重視に回帰する、現代のビジネススクール像
ビジネススクールにサステナビリティ教育を取り入れる必要性について、途中からオンラインで参加したフェラーロ教授は、次のような見解を示した。
「歴史的に見て、ビジネススクールは株主至上主義と結び付いてきた。しかし、それが主流になったのは1980~90年代になってからのこと。40年代までさかのぼれば、実はステークホルダーの価値を重視する立場を取っていた。このことを強調しておきたい」
さらにフェラーロ教授は、株主至上主義の過去30年間を例外的なケースだと指摘。その中で、ビジネススクールは常にマネジメントのフレームワークを開発しようとしてきたこと、そして戦略分野では、パーパスと責任を非常に重視してきたことを挙げた。
「より良い社会のための目的と価値創造を、ビジネスの中心に戻す必要があるという意見に、私は大いに賛同する。なぜなら、それこそ20世紀の大半の期間、ビジネススクールが教えてきたことだからだ」
ビジネススクールにサステナビリティを取り入れる
ビジネススクールにサステナビリティ教育を取り入れるにあたり、持つべき視点として、フェラーロ教授は以下の3つを挙げた。
- 複雑性と体系的変化の受容
- イデオロギー的抵抗
- 知識とスキル
中でも、(1)複雑性と体系的変化の受容と(2)イデオロギー的抵抗について、さらに詳しい説明を加えている。
「複雑性と体系的変化の受容」は、学問的な観点から見ても、分野横断で話し合うことを意味する。ただ、これは非常に難しいことであり、「イニシアチブの一部だけではなく、より焦点を絞ったイニシアチブを生み出すことが、ビジネススクールの役割の1つだ」とフェラーロ教授は話す。さらに「異なる企業を集め、このようなシステミック・チェンジ(構造的な変化)のために協力してもらう橋渡しになることが、ビジネススクールの役割だ」と続けた。
また「イデオロギー的な抵抗」とは、株主至上主義を擁護していることが、循環型社会やサステナビリティを目指す技術革新があっても、それに抵抗する口実になっていることを指す。そのため、他の方向性よりも、はるかに優れたビジネス上の数値を持っていなければならないという。なぜなら、単に経済的に持続可能なものと、経済的かつ人間や環境の観点からも持続可能だと考えられるものとでは、基準が異なるためだ。
グローバルに開かれたIESEの高等教育プログラム
続けてフェラーロ教授は、スライドを共有しながら、改めてIESE設立の背景を語った。
「PRMEのように、国連が主導するマネジメント教育の取り組みもある。IESEもその一員だが、世界的なレベルでのマネジメント教育はまだ十分ではない」
そのようにフェラーロ教授は述べた上で、今後IESEで展開していくプログラムについて説明した。
まもなく開講予定だが、欧州の他のビジネススクールと共同で立ち上げたグローバル博士課程コースは、世界各国の博士課程の学生に無料で提供される。本コースは「気候変動リーダーシップ・イニシアチブ」と呼ばれる。学生たちに早い段階から研究プロジェクトに取り組んでもらい、彼らがサステナビリティのマインドを持ったビジネススクールの教授陣になることを目指す。これは、ビジネススクールの長期的で構造的な変化(システミック・チェンジ)の試みの第一歩として始まる。
結び
かつて主流だった株主至上主義から脱却し、ステークホルダーや社会のための目的と価値を重視する企業の在り方が、世界的な時流となっている現代の国際社会。その中でビジネススクールが提供するサステナビリティ教育は、ますます重要性を増していくだろう。
続く中編・後編では、サステナビリティ経営の取り組みとして、ゲストスピーカーの有馬利男氏(富士ゼロックス株式会社:元社長、GCNJ代表理事)と大塚友美氏(トヨタ自動車株式会社:チーフ・サステナビリティ・オフィサー 兼 特定非営利活動法人ISL理事)による事例紹介、また野田智義学長の講演やパネルディスカッションについて、ハイライトをお届けする。
取材・文責:H&K グローバル・コネクションズ