なぜMBA、なぜ欧州、なぜIESE、なぜ入学審査:西田朋史さん(MBA Class of 2016)

バルセロナを本拠とする、欧州トップクラスのビジネススクールであるIESEビジネススクールのMBAを2016年に卒業した後、同校にて入学審査やキャリアサービス関連を担う西田朋史さんに、これまでのキャリア上の決断について伺いました。

これまでのキャリア概略は以下の通りです。

  • 2008年-2014年:NTTドコモにて国内外投資管理、海外通信事業者財務比較分析、法人営業を担当。金融庁国際室に2年間出向し、国際金融規制関連交渉・調査に従事
  • 2014年-2016年:IESEビジネススクール経営学修士(私費留学)
  • 2016年-現在:IESEビジネススクールにてMBA及びMiMの入学審査(日本・韓国・中東)とMBAのキャリアサービス(日本・韓国)を担当

 


なぜ海外MBA

 

キャリアチェンジしたかったからです。財務から自分がもっと好きでもっと強みを発揮できる分野に転じ、一層国際的な仕事をしたいと考えていました。その分野について、出願前時点で仮説として、1. 人事・教育系、2. 戦略コンサルティングの2つを念頭に置いていました。

実は、第一志望で新卒入社したNTTドコモから金融庁国際室への出向は、2年に1度の若手選抜人事の位置づけで私で6人目でした。それもあり、出向後、3年程度(?)待っていれば、前例を踏まえると、会社派遣で海外MBAへ社費留学できるだろうという極めて確度の高い予測がありました。財務には殆ど興味がありませんでしたが、私が願った金融庁国際室への出向は、財務部からの出向だったので、結果的に財務部を希望した形となりました。金融庁国際室へ出向したかったのは、NTTドコモにいながら、その時点で最速で最も濃密に国際的なキャリアを積めると判断したからです。国際事業部という部署への異動の根回しもしていたのですが、雲行きが怪しかったこともそれに拍車をかけました。

ですので、出向後、財務の背番号をつけて、キャリアを重ねていくことには不安が大きく、金融庁出向が1年経過して折返し地点に到達して仕事が落ち着いてきた頃にMBA受験を真剣に考え始めました。こんなご時世でも未だにある程度国家公務員になりたい方がいる理由の1つが、民間企業では考えられないくらい早期に国費留学(MBAとは限らない)させてくれ得ることです。それを反映して私の周りには社会人として海外留学した方に溢れており、その方々からも刺激を受けていました。

出願に必要な要件が揃わなければ数年後の社費選考の時点まで先送りしようと考えていました。但し、幸運にもGMATという試験で出願に足りる点数が割と早い段階(と言っても回数的には3回目の受験)で出てしまいました。その時点で、海外MBAに私費で行くことと会社に数年更に残ることの優先順位が完全に逆転しました。MBA受験の結果が出揃ってから初めて、当時の上司を含む社内関係者に全てを打ち明けました。

社内の複数関係者からは、会社の中枢である財務部の中でも特に有望なポジション(戦略投資管理担当)にいるのに勿体ないという声や、卒業後戻ってきたかったら声をかけてくれという類の声を頂き、今でも心から感謝しています。海外MBAに行くことよりも、第一志望で入った且つ日本有数の安定企業を去ることへの反対という意味での親の強い反対もありましたが、心の中のリトル西田は、既に完全に違う方向を向いていました。そして、そのまま私費退職という形態で海外MBAの旅に乗り出しました。

 


なぜ欧州

 

欧州に相当偏った生き方をしてきて、その結果、欧州に心酔していたからです。父が、ロンドンとブリュッセルに計8年駐在していました。その間、私は概ね離れて暮らしていたのですが、相当頻繁に父を訪れていたました。そのおかげもありMBA出願前時点で欧州域内だけで30カ国近く訪問していて、長い歴史に下支えされた欧州の文化に深く染まっていました。

大学の専攻も西洋史で、アルザス地方(フランス)におけるナポレオンのユダヤ人統治政策に関するマニアックな研究をしていました。趣味も、アメリカンフットボールというより、俄然ヨーロピアンフットボール寄りです。

また、括りが雑ですが、ドライで個人主義な米系企業と、ウェットで家族主義な日系企業の中間点にあたるような気がしている欧州系企業で働きたいというのもありました。

 


なぜIESE

 

複数校、欧州のみに絞って受験しましたが、IESEが第一志望でした。理由は4つあります。

まず、海外MBAを志した最大の要因であるキャリアチェンジを考えた時に、IESEは、卒業後のキャリアを慎重に考える上で十分な時間と機会を確保できる2年制(19ヶ月)プログラムを提供していたことです。1年生と2年生の間のサマーインターンシップが、その際たる機会だとみなされがちで実際そうなのですが、これ自体は一部の1年制プログラム(欧州で主流)でも可能です。ですが、その後、更にゆっくり考えたりする内省・検証期間に大きな差があるので、この違いは小さくないと考えました。

次に、ただ泊をつけるだけではなくて卒業後の国際的な環境でも活躍できるよう徹底的に自分を鍛えられる負荷の高いプログラムであったことです。IESEでは、1年目9名(当時8名)の固定チームに初日に割り当てられ、国籍と職歴の2種類の多様性が最大限降り掛かってきます。このチームは毎朝75分、意思決定能力の開発を目的にしたケースメソッド中心の授業3つの予習のため、ミーティングを行います。こんな環境で価値を発揮するのは、日本人でなくても大変です。こういう逃れようのない環境で自分の貢献可能性を求め続けて戦い続けることで、卒業後もどんな国際的な環境でも活躍できるスキル、経験、自信が全部身につくと考えました。

実際、金融庁在籍時、パリやらブリュッセルでの国際金融規制関連の国際会議に日本代表として単独で出席したり、参事官と一緒にメキシコシティでの国際会議に出席したりしていました。そこで自国の立場を表明して、守るべきものを守りつつ勝ち取るものは勝ち取るという交渉をした際に、自分の力不足を痛感し、これは一度ちゃんと時間をかけて体系的に訓練を積む必要があるなと考えました。他のMBAプログラムではここまでのチームワークの濃度を一切見つけられませんでした。

3つ目に、スペイン語を学んで他の日本人海外MBA生と差別化したい、日本人の枠を超えて活躍の幅を伸ばしたい、と考えました。元々のスペイン語の能力はほぼゼロでしたが、任意選択制で1週間に6時間のBusiness Spanish Program(BSP)に高い優先度を置いて参加し続けました。これにより、継続的な鍛錬は必要ながら、ビジネスで使えるレベルのスペイン語が実際身につきました。

最後に、バルセロナに住みたい、と強く願っていました。大学生の旅行者として、MBAのことを微塵も知らずにバルセロナに訪れた際に、街に本気で惚れました。地中海沿いの温暖な気候、美しいビーチ、欧州サッカーの聖地、美味しいご飯とお酒、ユネスコの世界遺産に登録されたアントニ・ガウディの建築物で溢れる街並み、安めな物価…ここにいつか住みたいと思っていました。父のおかげでロンドンとブリュッセルをそれなりに味わっていて、双方とも特に冬の気候が自分の中で絶望的だったので、良質な気候への渇望は強かったです。出願前の9月に、キャンパスビジットという形で自主訪問した際に、キャンパスの美しさと学校の人の温かさもあいまって、バルセロナとIESEへの思いは一層強く、不可逆的なものとなりました。

 


なぜMBA入学審査官

 

まず、文字通り自分にとって人生を大きく変えるほど真に変容的なものだったIESEのMBAプログラムを、強い意志と覚悟と期待を持って未来に踏み出そうとする方々に提供する仕事は大変魅力的なのではないかと考えました。

次に、プライベートの理由でIESE MBA卒業後はどうしても帰国しなくてはならなかった中、最大限の国際性を伴った仕事をしたいと思いました。例えば、新型コロナウィルス前は、年間の30-35%の時間を出張ベースで海外で過ごしており、プライベートとも非常にバランスが取れていましたし、現在も海外出張がなくなった以外は、相当に国際色の強い仕事です。少なくとも私が色々模索した限りにおいて、教育分野でここまで国際色の強い仕事を見つけることは、容易ではないという印象を持ちました。

最後に、私を含む約10名で構成されるIESE MBAの入学審査委員会(アドミッションコミッティー)は、全員がIESEの卒業生なのです。そういった個人としてもプロフェッショナルとしても信頼と尊敬のできるIESEの卒業生たちに極力囲まれて仕事ができる環境を選びたいと思いました。ちなみに、この中には、私の他に2016年卒の同級生が他にこの中には3名(ブラジル人、エルサルバドル人、シンガポール人)おり、彼女たちについては友人としても親しい関係にあります。

付随して、普通の転職では絶対に手に入らない仕事、海外MBA(更にはIESE MBA)に来たからこそ手に入る仕事にありつきたいというのも、正直ありました。前職の経歴を踏まえ、MBA向けに採用を行っている会社の求人であっても、一部は普通の転職でも叶えられたであろうものもあったので、この点は慎重に考えました。

もちろんIESE MBA入学前にはMBA入学審査官になることなど微塵も想定していませんでしたが、結果的には、元々思い描いていた2つの可能性の1つの人事・教育系にすっぽりはまった形になりました。